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「いがまんじゅう」にそっくりな「志ら玉」 [カルチャー]

2014 2/1に道の駅 関宿に行ったら「いがまんじゅう」にそっくり和菓子を発見 名前は「志ら玉」
早々購入し、試食してみると、味も「いがまんじゅう」と同じ
こりゃ 「いがまんじゅう」の三重進出だ

違いは、まんじゅうの飾りのもち米の量の違いのみ。紅の付け方?

三河地区のひな祭り限定和菓子が三重にということ??

グローバルな時代だから当然か?


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上記が「志ら玉」

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道の駅 <関宿>

2013中秋の名月は満月 [カルチャー]

今年の中秋の名月は満月
中秋の名月とは、満月と思って見える方もたくさんあるかと思いますが
かならずしも満月ではないようです。
次の中秋の名月の満月は東京オリンピックまで待たないと行けないようです。

今年拝んだ中秋の名月の満月の写真です。
20130919moon.jpg

中秋の名月   (今年は9/12) [カルチャー]

今年の中秋の名月は9月の12日来年は9月30日らしい

tukimi_01.jpg 今年は、12日にはゆっくり月見をしようと思っていたが、残念ながらできなかった。
それでも、自宅に帰って、月見団子を食べながら外へ出て空を見上げれば、素晴らしい満月が私たちを励ましてくれていた。月を見上げる心の余裕はほしいものだ。

以下ウィキペディアより
中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。

現代では、月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺める(お月見料理)。この時期収穫されたばかりの里芋を供えることから、十五夜の月を特に芋名月(いもめいげつ)と言う地方もある。

仏教寺院では、豊作を祈る満月法会を催すところもある。

また戦前から昭和中期にかけて(ところにより今日でも)は、各家に供えてある月見団子や栗、柿、枝豆、芋、菓子類を近所の子どもたちがそこの家人に見つからないように(見つけても見ない素振り)捕って回りその年の収穫を皆で祈る(祝う)風習がある。
以上ウィキペディア

 月見団子は、上新粉と白玉粉、砂糖、熱湯を手でよくこね、その後蒸し、またこねて、丸めて作ります。日本は米を中心とした食文化のため、米の団子を供えるのでしょうか。

 ススキをいけ、三宝に真っ白な団子をお供えし、ぜひ来年は、お月見がしたいと思います。風情ある日本の秋を満喫しましょう。



雪の伊勢神宮参拝 [カルチャー]

富士山の記事と同じく携帯電話から雪の伊勢神宮参拝の写真が出てきたのでアップします。

 「お伊勢さん」という俗名で呼ばれるように伊勢神宮は今も多くの方が全国から参拝される神社です。
私の家からも3時間程度で行けるので良く行きますが、今回(2008.2.9)は雪の「お伊勢さん」でした。

 お伊勢参りは江戸時代に流行し、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られています。そして伊勢参りのことをお陰参りとも言うそうです。

以下ウィキペディアより
 お蔭参り(おかげまいり)は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。数百万人規模のものが、60年周期(「おかげ年」と言う)に3回起こった。お伊勢参り または抜け参りともいう。

お蔭参りが農村に与えた影響
 お蔭参りに行く者はその者が属する集落の代表として集落から集められたお金で伊勢に赴いたため、手ぶらで帰ってくる事がはばかられた。また、当時、最新情報の発信地であったお伊勢さんで知識や技術、流行などを知り見聞を広げるための旅でもあった。お蔭参りから帰ってきた者によって、最新のファッション(例:最新の織物の柄)や農具(例:新しい品種の農作物がもたらされる。箕に代わって、手動式風車でおこした風で籾を選別する唐箕が広まる)、音楽や芸能(伊勢音頭に起源を持つ歌舞が各地に広まる)が、実際の品物や口頭、紙に書いた旅の記録によって各地に伝わった。
以上

isesnow.jpg 突然の雪
積もらないだろうとたかをくくっていたが、大雪交通混乱

松阪ですき焼きをたべご機嫌で外に出ると雪が舞っている
伊勢神宮は白くきれいだなと楽しみに思いバスで出発
途中情報が入り雪は激しくなる見通しとのこと
添乗員 「何とか行きましょう」の言葉に ハイな私は何も思わずOK
伊勢神宮に到着
5センチほど積もっている 「やばいぞ」の言葉が頭をよぎる
しかし、着た以上参拝しようと皆さん参拝へ、そして急いでお土産も購入

バスにもどり、さあ帰路へ
添乗員曰く、大渋滞です。家に着くのは日が変わるかもしれません。
電車は動いています。早く帰りたい人は、駅まで送ります。

そして、2台のバスのほとんどの人が電車で帰宅へ
2台で5から6人がそのままバスで帰ることを選択

近鉄で時刻表を見ながら、帰宅へ
テンションは落ちたが、暖かい我が家をおもい何とか頑張って帰宅
大変な雪の伊勢神宮参拝でした。

バスも結局、電車組よりも1時間程度遅いだけで帰れたそうです。よかった
この選択はどちらがよかったんかな??
どちらにしろ、思い出に残る参拝でした。

富士山 登山 [カルチャー]

3年前(2008.7.27)に、富士山登山をした。その時の写真が携帯電話の中にあったのを発見したので、アップすることにしました。

富士山の優美な風貌は、日本国内のみならず日本国外でも日本の象徴として広く知られている。芙蓉峰(ふようほう)・富嶽(富岳、ふがく)などとも呼ばれる。

古来より霊峰と呼ばれ、富士山を開いたのは富士山修験道の開祖とされる富士上人であると伝えられる(『本朝世紀』)。富士山は多くの人々の信仰を集め、村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。江戸時代後期の1800年(寛政12年)まで富士山は女人禁制であった。

富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季には富士登山が盛んである。富士山の登山は最古の富士登山道である村山口から発展した。 以上ウィキペディアより

富士山は、標高3,776mの日本最高峰であるとともに、日本三名山(三霊山)、日本百名山、日本の地質百選に選定されている。そして活火山でもある。
富士山は、日本では昔から、生活・文化の中に登場し葛飾北斎も以下の錦絵(版画)を残している

Red_Fuji.jpg

日本国内のみならず日本国外でも日本の象徴として広く知られている富士山、一度は登っておくべきだと思い職場で乗り合わせツアーの募集があったので参加しました。

Mtfuji01.jpg6時頃我が町を出発→昼食後→13時頃富士山5合目に到着→登山ガイドが来るまで5合目観光

ガイド到着・色々な説明をうけ、いざ出発
我が隊列は、高齢者確か74歳の方がみえ、ペースをその方に合わせ出発となった
40名前後の隊列のため、前と後ろは、様子がわからないのが実態
七合目?で74歳の高齢者はリタイア空きのある山小屋へ
そんな事もあって、8合目の富士山ホテルに着いたのは夜の10時
早々に食事を済ませ、消灯 2時起床の最終ゴールへ
起床 暗闇のなか、荷物は最低限必要な食料とカッパなどにし出発
7月27日 真夏 富士山頂上付近は、寒い、寒い 雨具のカッパを防寒着に着たもののまだ寒い
頂上には、4時前に到着 天気もいい これなら御来光も大丈夫

寒さに震え、ロケーションのよい場所を何とか確保(頂上はラッシュアワーの電車の中の様?)
待つこと30分
雲の中から太陽が
御来光
着てよかった
目にしっかり焼き付けよう
カメラは携帯があった
やっぱり写しておこう(そしてこの写真7/27AM4:22:59撮影)

御来光を拝んだ後は、頂上散策
寒いので、最終的には茶やで暖まる
お汁粉が1200円?高いと思ったが、ここでこの暖がとれるならば、やはり安いんだな  お汁粉に関わった皆さん本当にありがとう。そして、農家の皆さん本当にありがとう。小豆は北海道産かな?

ホテルまで下山
食事をとって5合目をめざし下山
7合目から8合目の間でガイドからそれぞれ11時までに5合目まで下山指示

下山は楽かと思ったが、とんでも無く辛い、足があがらない、足が棒になってしまった
ガイドの言ったとおりに歩いたのに
でも、時間よりも若干早く到着 間に合った

そして、バスで昼食会場へ
風呂も入れて満足
ただ、着替えを下着しかもって行かなかったことは失敗
ホコリになったズボンをまたはく羽目になってしまった

反省
バスで富士山登山をする場合、バスの中に荷物は置けるので着替えやサンダルを持って行くべきでした
できるだけ軽くを思い、荷物を少なくは失敗 登山時の荷物は少なくは正解ですが

今回、山岳ガイドには恵まれませんでした。山登りも山岳ガイド次第でよくも悪しくも
下の隊列のガイド、若く、まめによく動くんだよね。私は下のガイドからかなり
情報を得たからね。本来のうちのガイドは、下まで2から3回しか連絡に来ないんだから




てんてこ祭り [カルチャー]

新春1月3日に天下の奇祭 てんてこ祭りに行ってきました。
ニュース報道で内容は知っていたのですが、ユーモラスなパフォーマンスを一度なまで見てみたいと思い出かけました。
内容は、こじんまりとした太鼓の音色が印象的な静かなお祭りでした。
”てんてこ祭”の起源は、およそ1300年前、清和天皇の大嘗会にさかのぼると言われ、愛知県西尾市熱池町に伝わる奇祭、天皇の即位後初めて実った米を神々に供える祭を大嘗会といい、悠紀斎田(ゆきさいでん)に熱池町の一帯が選ばれ、御田植の儀式が執り行われた。いつしか御田植の儀式は、地元の豊年祭として毎年行われるようになり、その太鼓の音色から”てんてこ祭”と呼ばれるようになったそうだ。
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