少年時代に使った調理器が歴史博物館で紹介されていた。 [食事]
先日、博物館の企画展で、ジュラルミン製のパン焼き器が紹介されていました。懐かしく思いブログに掲載してみました。
戦後の食生活 パン
『昭和の初期には市域でもパンが食べられるようになってきました。昭和10年(1935)の雑誌「流芳」には、簡単なパンの作り方が紹介されています。また戦後、米不足のためアメリカから小麦粉などが大量に入ってくると小麦粉を使った食べ物が奨励されました。GHQによる航空機製造中止のため、ジュラルミン製の航空部品はパン焼き器に再利用されました。』
紹介の文面 引用(歴史博物館企画展パンフレットより)
パンフレットの写真
私は、小学生の高学年から中学にかけて、よくケーキ?として焼きました。レシピは、今のホットケーキと同じだったと思います。ドーナッツ状に焼き姉とおやつ代わりに食べました。今と違って、おやつが日常的に家にあることはなかったので、自分で焼いて食べたのです。大変おいしく焼けた記憶があります。
戦後の食生活 パン
『昭和の初期には市域でもパンが食べられるようになってきました。昭和10年(1935)の雑誌「流芳」には、簡単なパンの作り方が紹介されています。また戦後、米不足のためアメリカから小麦粉などが大量に入ってくると小麦粉を使った食べ物が奨励されました。GHQによる航空機製造中止のため、ジュラルミン製の航空部品はパン焼き器に再利用されました。』
紹介の文面 引用(歴史博物館企画展パンフレットより)
パンフレットの写真
私は、小学生の高学年から中学にかけて、よくケーキ?として焼きました。レシピは、今のホットケーキと同じだったと思います。ドーナッツ状に焼き姉とおやつ代わりに食べました。今と違って、おやつが日常的に家にあることはなかったので、自分で焼いて食べたのです。大変おいしく焼けた記憶があります。
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